ピックアップ

名古屋シルバーバーチ読書会

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このコーナーでは、「シルバーバーチの霊訓」やスピリチュアリズムに関わるさまざまな内容を取り上げます。

2014.12.21

今月は、2人の参加メンバーの発表してくださった体験談を紹介します。
お一人は、家族そろって天理教を信仰している家に生まれ育った方です。天理教の教義に疑問を持ちながら解決できなかったことが、シルバーバーチの霊訓との出会いによって解決し、人生が大きく変わっていかれたということです。シルバーバーチの言葉から神様の私たち人間に対する深い愛を感じ取られたことがよく分かるお話です。
もう一人の方は、自分自身の失敗から「厳しさを伴った愛」について学ぶことができた、そして失敗を失敗で終わらせず、自分の成長の糧にすることができるようになったという自らの大きな霊的成長についてのお話です。
この2人の方は、読書会に何年も継続して通っていらっしゃいます。個人的には大変なことがあった時でも、表に出さず、頑張って乗り越えていらっしゃいました。そうした努力あっての霊的な成長なのだと思います。こうしたお話しが聞けるのは、読書会を主催させていただいている私にとっても、本当に嬉しいことです。これからもこうした報告がいくつも聞けることを期待したいと思います。

*(読書会当日には、もうお一人体験を発表していただきました。個人的な内容が多いということで、今回はその内容を掲載いたしませんでしたが、この方のお話も、本当に霊的に一皮むけて新しい一歩を踏み出されたのだということがよく分かる内容で、感動いたしました。)

12月のピックアップ―「スピリチュアリストとしての歩み(1)」

「シルバーバーチの霊訓に出会えた喜び」

私は田舎の天理教の6人兄弟の末っ子として、終戦間もない昭和22年1月に生まれました。天理教は天保9年10月26日「みきを神の社にもらい受けたい」との啓示によりもたらされ、明治20年1月26に出直されるまでの50年間の間に、今でいう自動書記のように「筆をとれ、筆をとれ」との声により、筆によって筆記されたものと、入信状態、神がかりの時に語られたものが重なったものです。その教えの根幹というべきものに、「さあさあ、月日ありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定が第一やで」というものがあります。

私はその言葉の“身の内”ということがなんであるかに「?」をつけておりました。ほとんどの人が「人間の身体」または「体の自由な働き」と答えます。私にはいまいち納得できる答ではありませんでした。

シルバーバーチの霊訓に出会って、私の謎が解けました。
人間は肉体だけの存在ではなく、霊的存在であること、魂を具えた霊が存在すること、その霊(魂)が存在するから、神からの霊的エネルギーを受け取ることができること、心臓や肺に活力・生命力を与えることができるのは霊(魂)が存在するからであること、それゆえに生きていられること、そしてその魂に神の神性が宿されていること、人間はそれゆえにミニチュアの神であること、全ての人間に神の霊性が宿っていること、これをしっかりと心に納めていることが大切だと思います。
人間はその内在の神である魂に目覚めて、宿されている神性を少しでも多く発揮して、霊性を高め、魂の向上進化の道を歩むよう心掛けて通ってくれるようにとの神様の思いがいっぱいつまっているそんな存在だと思います。

また、「どうせい、こうせい、これは言わん、これは言えん、言わん、言えんの理を聞き分けるなら、何かの理もあざやかという、人間という、身の内というは、神のかしものかりもの心一つが我がの理」という“おかきさげ”の訓えがあります。
私の祖母は明治3年の生まれでした。学校というところには行けませんでしたので、読み書きはできませんでしたが、頭のよい人で、一度聞いたことはしっかりと心に刻んで通る人でした。私の就職する時にどんなことを心掛けて通ったら良いか聞いたら、「かしものかりものの教理と素直は宝という言葉を心に思っていたらいい」と言いました。

シルバーバーチさんは、繰り返し繰り返し、わかるようわかるよう細かく説いて語ってくださっているように思います。自由意志は神様が人間に与えてくださったもの、神からの授かりもの、理性も神からの授かりもの、神の監視装置である良心の心に従いなさいと、この地上生活は私たち霊にとって、ほんの短い期間逗留している仮の住まいであること、永遠に生き続けるのは魂であり、霊界での生活の方が永遠のものであること、神は人間に心の自由を与えてくださったということは、自分の自由意志だけでなく、相手の自由意志も尊重して通らねばならないということ。

ベールの彼方の生活の中に、「精錬された魂の持ち主はお互いにプラスになるよう協調的関係を築こうとしますが、野蛮な魂の持ち主は相手を支配しようとします」と書いてありました。私はこの言葉には、かなりドキッとさせられました。

神様や霊界の皆様の思いは、人間自らの意志で神の法、意志、神の思いに添わせて頂こうと、神の心をわが心とする努力を日々に心掛けて通ってくれるようにと。そして神様の思い、意図、お働きを少しでも多くの人に伝えていってもらいたいと願っておられる気がします。そのための神の道具として使って頂きたいと望み、神の霊力の流れる通路とならせて頂きたいと願い、神の手足とならせて頂きたいと、自らの意志で神に心と身体と霊(魂)を捧げてくれるようになってくれることを願っておられると感じます。そうなって初めて、地上天国の建設が進められて行くのではないかと思います。

私が初めてシルバーバーチの霊訓を読んだとき、「神は我々人間に分霊として神性を賦与された」という言葉に深く感動いたしました。この言葉一つあれば十分だと思いました。それに加えて、人間がこの人生の荒波を乗り切って進むようにと、守護霊という方をつけてくださっていることも知りました。神様は人間に至れり尽くせりの配慮をしてくださっているのだなあと深く感動いたしました。

シルバーバーチさんは、「人生には何事も二面性があります。光があれば闇があります。安らぎがあれば苦労があります。もしも晴天の日ばかりだったら、晴天のありがたさは分からないでしょう。時にはいやな思いをさせられる体験を通して、ある事を学ばされることがあります」と語られております。「憎しみを愛に代えることもできます」とも、語られております。苦労・困難・悲しみ、これらを乗り越えることによって、待っているのは喜びであり、心と魂がより磨かれ、鍛えられるというありがたさであり、それにも増して今まで得られなかった深い悟りを授けてくださるように思えます。この二つはセットになっているんだなあと感じました。これからはこの地上人生において少しでも人のためになる行いを心掛けていきたいと思います。

最後に私のモットーは、神様に感謝して、互いに立て合い助け合って、明るく、楽しく、喜び勇んで暮らすこと!

「3年前には出せなかった力――ある失敗から学ぶ」

読書会に出始めて、今回で丸3年になります。 3年前の私は、うつ症状はほぼおさまっていましたが、健康体にはほど遠い状態でした。やっと地下鉄にはなんとか乗れるようになり、月に1日だったら、体調コントロールをして外出できる、そんな程度の状態でした。
当時は、「読書会に参加する」というのが目的で、自分の成長・進歩なんて考えもしませんでした。そんな状態から始まったのに、それから3年経って、大きく変化した自分を感じています。
その中から、ある失敗から「3年前には出せなかった力」を持っていたことに気付いたという話をしたいと思います。

依存される人間関係を作ってしまった

私は、あるサークル活動に参加しています。そこは私にとって、今一番人間関係が密なところです。私は、自分が愛のスターターになって、一つでも多く利他愛を実践しようと心掛けていました。そうした甲斐あって、よい人間関係が築けるようになっていました。それ以前の自分は、人見知りで、あまり人付き合いがよい方ではなかったので、少し自分が成長したように感じていました。
そうして何か月か過ごしているうちに、この人といるとすごく気分が悪いなと思う人がいることに気づきました。なぜだろうと考えてみたら、メンバーの何人かの人が、精神的にべったりと私に寄りかかってくるようになってしまっていたのです。私に依存させるような関係をつくってしまっていたようでした。

自分の中の未熟な部分が原因だった

でも、なんでこんなことになってしまったのか、すぐにはわかりませんでした。初めは相手が悪いと思い、心の中で相手を責めていました。「彼らが依存心をもっているせいで、私がいやな気分になるんだ!」「せっかく楽しく通っていたのに全然楽しくないよ!」そんな思いが心に中に何度も湧いてきました。とはいえ、文句ばかり言っても仕方ないし、どうにかならないかともがいていたら、「依存させてしまったあなたにも責任があるのですよ」という言葉に出会ったのです。
「なんで私に責任があるの?」と、始めはその言葉に引っかかっていました。しかし、冷静に状況を見てみると、私は利他愛を与えていたつもりが、そうではなかったことに気づきました。私は彼らの「孤独や寂しさを癒してほしい」という欲求を満たしていただけだったのです。

霊的に価値のないものを相手に与えて、相手の欲求をただ満たすだけになっていたから、霊的に価値のないものが自分に返ってきてしまった――今回体験したこの依存的関係はそういうものなのだと思いました。「なんでこんなことになるんだろう?」という思いが実は心の片隅にあったのだと思います。そして、結局は私がそうなる原因をつくっていて、その結果が正しく現れていただけだったのだと分かりました。

それをどう変えていったか――自分を変えていく決意

気づきはしたものの、今の状態のままでは、どんどん深みにはまっていってしまう、どうしたらいいのか、と考えました。そして私は、2つのことを決めました。
1つは、自分に近づいてくる人に対して、これ以上相手の依存心を引き出させないようにする、ということです。彼らの「欲求を満たしてほしい」という誘いには乗らないようにすると決心しました。
もう1つは、自分自身を変えていくことです。今回のことを通して、私には“厳しさ”というものが足りないのだと思い知りました。シルバーバーチのように、「あえて手を出さない愛」「相手の霊的成長を優先する愛のあり方」を身につけていこうと思いました。でも中途半端な私は、2人の方に「拒絶」という表現をしてしまい、傷つけてしまいました。そこからもしっかり学ばなければならないと思いました。

失敗から学んだこと――2つの大きな学び

今回のこの「依存される関係を作ってしまった」という失敗から2つの大きな学びがありました。失敗した原因は自分にある――だから、まず自分の何がいけなかったのかということを探りました。そして2つの大きな学びを得ました。
1つは、「同情心は持たねばならないが、決してそれに流されてはいけない」ということです。(*『続スピリチュアリズム入門』参照)彼らが持っていた孤独や寂しさは、かつて私が持っていたものでした。だからつい同情して、優しさの安売りをしてしまったのです。でも、それはしてはいけないことだと分かりました。
2つ目は、愛は“優しさ”と“厳しさ”でできていると学びました。(*ニューズレター31号、思想Ⅲ参照)時には、「与えない」ことがが愛になることがあります。「与えない」ことを与えられるようになりたいと思います。考えてみると、私自身が厳しさのある愛の体験が少なかったのだと思います。厳しさがないのは心地よいかもしれませんが、場合によっては、互いの霊的成長を妨害し合うことになってしまいます。今回、自分の厳しさがないばかりにどんどん相手の欲求がエスカレートしていき、果てしない欲求を向けられるという恐ろしさを体験しました。

今回の失敗からの学びと共に気づいたのが、3年前には私の中になかった“力”の存在でした。この3年で確実に私は成長していたということです。

◆失敗を失敗で終わらせず、自身の成長の糧にする力

3年前だったら、苦しみを感じた時には、いつも誰かや何かのせいにしていました。うつ病についてもそうです。自らを省みて成長につなげるという考え方が希薄だったのだと思います。しかし、3年経って、今の自分は、目の前の苦しみが“霊的成長の課題”だとはっきりわかっていました。だからこそ、あきらめずに問題克服のためのTRYをし続けられました。

◆霊的視野でものを見る力

以前だった問題に出会う度に「どうして私が」「最悪だよ」「私は悪くないのに」と、ネガティブな角度からしか見られませんでした。でもこの3年のうちに、真理からの見方が少しずつ身についていました。
今の私の課題の一つは「厳しさ」という愛の形を手に入れること。そしてそれは、私が愛情あふれる物わかりのよい人々に囲まれて暮らしていたら、決して磨かれない部分でした。

シルバーバーチは「地上世界は相対的な体験から学んでいく場所」と言っていますが、本当にその通りです。私が厳しさを手に入れるには、依存的な人間と関わる必要があったのだと思います。それは愛や喜びしかない世界では手に入れられないことだったのです。そういう見方ができるようになりました。

この3年間に積み重ねてきた努力の結果が出ていたが感じられて、本当に嬉しく思いました。これまでは、あまり成功体験を感じられず、ただ失敗していただけだと思っていましたが、苦労し、努力をしてきた分だけ、ちゃんとそれを生かしてこれたんだということがわかりました。

私自身、自分の成長をこのように感じられたのは初めてで、すごく嬉しかったです。
昔の私は人が嫌いでしたし、怖かった、そして何のために生きているのか分からなくて、いつもイライラしていました。これでいいんだと思えるようなものがなく、いつも不安でした。そんな自分がこんなに変れるなんて思ってもみませんでした。
霊的成長のために地上世界が用意されていて、今そこで生きる貴重な時間を与えてもらっているということが、すごくありがたいと思えます。この人生に意味があったことが本当に嬉しいと感じます。「私は生まれてきてよかった」と、初めて思えました。
ここまでの自分になるために、守護霊や普及会の皆さん、若山さん、日常で関わる人、そうでない人、私を苦しめた人でさえも、私に多くのものを与えてくれたのだと思っています。
来年からは、「人の役に立つ」ということを、さらに少し意識して人生を歩んでいきたいと思っています。


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