参加者の感想

名古屋シルバーバーチ読書会

参加者の感想

読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。

2013.4.21

今月は「人のために自分を役立てること」「動機」「良心・道義心」といったところで色々と感じるところがあったようです。人のために役に立つといっても、どのレベルでやればいいのか、霊的成長に果たして結びつくのか、考えたらきりがないかもしれません。しかし、どんなことにせよ、本当に困っている人がいたならば、手を差し伸べるのが当たり前、正しい方向がわからなくなっているなら指し示してあげるのが当たり前といったシンプルな考え方も必要です。地上というところは、様々な条件が複雑にからみ合って、困難極まりないところであることは間違いないのですから、思いもよらない、考えもつかないことはあるものです。

4月の感想――2章悟りは苦しみの中から生まれるのです〈3〉

霊訓を読み、シルバーバーチはいったい何を言いたいのかということをいつも考えていました。今日は、基本的な霊的知識、人間は霊的存在である、死後の世界がある、人間は永遠の存在である、このことを証明したい、このことを中心的に人間に知らせたいんだということが理解できました。

人のために自分を役立てること、これがなかなかできません。人の幸せを願うということをずっと続けていけば、良き方向に導いてもらえるのかなと思い、努力しています。

今日思ったのは、「動機」というところです。善悪の判断は自分が正しいと思った動機による、誤ることのない判断装置という良心・道義心が人間にはあるということですが、ちゃんと自分が誤らずに良心の声が聞けるかなということを考えてしまいました。

思念の強さについてです。普段気の毒に思う人がいても直接的に働きかけられない場合が多々あって、心の中で「頑張って」ということしかできずに歯がゆい思いをしてきましたが、それでも少しは役に立っていたのかなと思えました。本当に誰かのことを真剣に思いやるということが大切なんだということがよくわかったので、人のことに興味を持って、無関心でいないようにしていきたいと思いました。

私たちには善悪の判断モニターがついているというところ、本当にそうだとおもいます。この世にいるときには、家族のことに追われてしまったり、自分の本能によって曇らされてしまったりして見えなくなってしまっていることが多いのだと思います。最後に自分を裁くときに、本当の自分の本心はこうだったのかと思うことが怖いので、日々の曇りをとっておかないとまずいかなと思います。どうしても自分をかばって「多分これでいいんだ、多分世の中のためになるから」と思いながら、自分がこだわっていた考えを推し進めていただけかもしれないので、モニターのガラスを磨いておかないといけないなと思いました。

判断基準は良心であると思うのですが、自分が良心で判断していることについて、シルバーバーチがもっと上を望んでいるようなことが書かれていると、自分の判断基準が間違っているのじゃないかと葛藤が生まれてきて、そこが解決つかずにいます。ただその時その時、霊的なレベルが違うので、それぞれのレベルに応じた判断基準・良心・道義心に従っていけばいいのかなというように理解しています。

霊界の人は「いかなる問題も地上的観点から見ていない、地上的な尺度で判断しない」「人間的憎しみや激情には絶対に巻き込まれない」「往々にして人間の判断力を曇らせている近視眼的無分別に振り回されることは絶対にない」というところを読んで、霊界の人たちっていうのは、私たちと違ってこういうふうなんだなとわかりました。私も、いろいろな問題に対してこのような気持ちになれるよう見習っていけたらと思いました。

動機・道義心についてですが、地上界の人間には他人の動機がどうだということはわからないと思っていたはずなのに、いつの間にかそれを判断するのは医者であったり心理学者であったりするという地上界の判断に流されてしまっていたように思いました。わかっていたつもりでも、リフレッシュする意味でも繰り返し本を読んだり勉強していかなければならないと改めて思いました。知らない間に地上界の価値観に変わってしまっていたんです。職場にいくと地上界の判断で人に接しなければならないことが多々あるので使いわけが難しいなとも思います。

苦しみというのは、マンネリ化している時の自分に喝を入れられるように思います。自分でこれでいいんだろうと思っていて、うまく行くときもあるし、そうでないときもある。多少自分なりの味付けで悪い方にいったとしても、それは後で考えると結果的には必ず自分のプラス、実になると思います。間違った方向にいっても、守護霊や背後の目に見えない霊達がそれを戻そうとしてくれる、自分を悪あがきさえしなければ、それに沿っていけばなるようになるということがわかります。今回の学習でそれを再認識しました。

今日は、この世で生きていく上で、霊的知識をベースにして何をしたらいいか考えるということはとても判断がむずかしいことではないかなと思いました。日本人はあまり宗教に関心のある人が少ないと思うのですが、科学というのも、多くの人にとっては宗教みたいなもんではないかと思います。科学的に証明されてないから霊界はないとか言っている人も多いです。ここに来ている人はそうではありません。信じるといろいろ腑に落ちる点が多いし、辻褄があうことが多いので、私は信じているのですが、多くの人にとってはなかなか難しいことなんだと思います。科学の常識が邪魔してしまっているのではないかと思います。

今やっていることが正しいかどうか不安になっている時には、いつも動機を正してみます。

人のために自分を役立てることということで、自分に何ができるのだろうといつもこの本の内容を思い出して葛藤しています。利己的な面も強いので自分に何ができるのだろう、人のために何か役に立つことをやっているのだろうかと確認作業のようになっています。シンプルに人のためを思えばいいと、良心に照らして正しいと思うことを思えばいいと思いました。

自分は道具意識というものはありますが、それがあまり前に出ている時点では、自分の思いが前面に出ているような気がします。まず自分のできることをコツコツとしていこうと思っています。そうすると不思議に、日常で人と接するときに、普通に死後の世界があって、今の生活がそれにつながる生活なんだよという言葉を話せる状況が何度もありました。そうしたことでもいいのかなと思いました。そうした時にでも正しいことを伝えなければならないので勉強しなければと思います。


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