参加者の感想

名古屋シルバーバーチ読書会

参加者の感想

読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。

2013.5.19

今月は、「人間の死に方」「サイキック(心霊的)とスピリチュアル(霊的)」について学びました。誰もが避けては通れない「死」の問題は、さまざまな角度から学ぶことができます。今回は「死に方」についてみていきました。自分の親が死んだとき、家族を残して自分が死んでいくとき…身近な問題として皆さんとらえていらっしゃいました。また、サイキック能力とスピリチュアル能力の違いについても、霊界の高級霊が呼応するような能力を身につける「霊的成長の王道」を歩むことの必要性を確認できたことと思います。

5月の感想――3章知識はすべて、ためになるのです〈1〉

先月の学習からずっと考えてきたことですが、自分のうちの良心の命ずるままに活動していれば、大霊はその道を指示してくれるという結論に自分の中で落ち着きました。

シルバーバーチを通して霊的無知から少し知の方向に導かれているということに感謝しています。霊界のことを知らないまま霊界入りしている人が多いということで、本当に霊界の人たちは大変なんだと思います。私たちも霊界側の人たちを助ける側に回りたいと思います。

ルースとポールの話は、別のところで読んだ記憶がありました。自分では一回本で読んでいて、知識になっていると思っていたのですが、今日ここを読んで初めてこれ読んだことがあるなと気づきました。ということは、自分はわかっていたつもりだったけれども、自分の中にちゃんと入っていなくて、知識になっていなかったのではないかという気がします。だから日常の中で知識をすぐ取り出せるようになっていないと本当の知識にはなっていないんではないかと思いました。もっと理解を深めていかなくてはいけないなと思います。

死ぬときに苦しまれるという方は、自分が霊の存在であるということを知らなくて、死にたくない死にたくないと霊界へ行くのを何とか阻止しようとして苦しまれると聞いたことがあります。本来なら自然にスーッと離れてあの世に行けるところを無理矢理自分の中に引き止めて、死にたくないという気持ちでこの世にしがみつこうとするから苦しいのだと思います。霊界のことを知っているか知らないかということが大きな差になるのだと思いました。

読書会に出て真理を学ばせてもらうようになって、最近少し変わったところがあります。守護霊の存在を感じることはまだできないのですが、後ろでやさしく見守ってくれていて何かの時には気づきを与えてくれて導いてくれているということを本当にそうだと思えるようになりました。それだけでも自分には大きな変化だと思います。これからも継続して真理を学んでいきたいと思っています。

自分の祖母は自然死で亡くなったのですが、本当にうつらうつらして安らかな感じでした。ろうそくの炎が消えていくような感じで亡くなっていったんですが、まさしく今日学んだ自然な死ということが起きていたのだと思います。そこに霊界の導きもあったんだなと思います。

以前、ヒプノセラピーに行っていたことがあるのですが、そこでは女性の方の多くが自分の過去世が見えると言っていて、自分は全く見えませんでした。今日のサイキック能力の開発セミナーなどに興味本位で参加していると低級霊の餌食になったりするという話を聞いて、見えないでよかったと思いました。やはり霊的成長の本道を行きたい、摂理にあった歩みをしたいと思います。

自分の父が亡くなったのですが時の話ですが、その時はまだ霊界のことも知らずもっと長生きしてほしいと思っていたので、酸素マスクを嫌がって取ろうとする父に無理矢理酸素マスクをつけさせたりしていました。今思うとかわいそうなことをしたなあと思います。今はスピリチュアリズムを学んで、死は自然なものだから人間の手を必要以上に加えてはいけないなと思うようになりました。

人間の死に方を勉強したわけですが、どんな死に方も自分が呼び寄せたものだろうと思っています。自然死なら一番いいと思いますが、行き当たりばったりで強盗に刺されて死ぬことや交通事故で死ぬということもあるかもしれません。それも結局は自分が引き寄せたことであろうと思うので、どんなことであろうと受け入れる覚悟をしています。ただ、残された家族が苦しむことを考えると、自分が死ぬ前に家族に真理を伝えておくことが必要だと思います。しかし真理を教えるにも受け入れられる時期というものがあるのですが、何とか自分が死ぬまでには伝えておきたいと改めて思いました。

スピリチュアリズム能力と人間関係について思うところがありました。自分は人間関係というのは地上にしかないものだと思いこんでいました。そして利他愛を自分なりに行っているつもりでも理想的な人間関係にならないということがあり、悩んでいました。しかし人間関係というものは地上にいる間だけにあるものではないのではないかとふと思いました。自分は地上人としか愛の絆を気づこうとしてこなかったのですが、誰よりも自分と愛の絆を持ちたいと思っていたのは、守護霊や背後霊ではないのかなと思ったのです。自分は霊界の人たちと愛の絆をきちんと持てるだけの人間なのかなと考えると、地上の人間に好意を持ってもらうよりも霊界の人たちに好意をもってもらえるような生き方をしていけたらと思うようになりました。それがスピリチュアル能力につながっていくのではないかと思います。だから地上の人間関係に惑わされず、真実の愛の絆を霊界の人たちと作っていけたらと思います。

サイキックとスピリチュアルの違いがよくわかりました。若い時にサイキック能力の開発に興味を持ったことがありました。しかし、自分にはそういう能力がないと分かり忘れていたのですが、今日改めて本当に意味がわかってよかったと思います。

ここしばらくエリザベス・キュープラロスの本を読んでいました。その中で死んでいく子どもが残していく家族の悲しみを知るがゆえに、死んで行けない、自分は死ぬことは怖くもなんともないのに家族が悲しむので死ねないという話がありました。死んでいく人は、死を受け入れた時は怖くない、苦しくないということがやっぱり真実だと納得しました。

まだ生きている両親に少しでも霊的真理を知ってもらいたいと思いますが、認知症になったり、目が悪くなって字が読めなくなったり、なかなか伝えるのが難しい状況にあります。何とか少しずつ話をしていこうかなと思います。

今年配偶者をなくしたこともあり、死について考えることも多いです。今日学んだことを生かしていかなければと思います。また、霊的無知を克服しようとして、知識ばかりを追い求めるのもよくない、基本はこの人生の毎日をいろいろな経験をして、失敗をする中でたくさん学んでいくこと必要だと思います。その結果として霊界の人に迷惑をかけないようになれればと思います。

自由意思があって、どうも自然死ではなく不自然死に向かっているようなところがあるので気を付けていきたいと思います。サイキックとスピリチュアルのところでヒーリングの3種類の違いを出してもらい、こういう説明をするとわかりやすいんだということがわかりました。


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