参加者の感想

名古屋シルバーバーチ読書会

参加者の感想

読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。

2011.8.21

今回学んだのは、『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』3章「わたしたちは決して見捨てません」です。霊界からの働きかけを私たちがどのように受け止めるか、またどのように自分に働きかけてくれているかということを皆さん自分の体験と照らし合わせて考えていらっしゃいました。感想では、「真理を受け入れる時期」ということについて多くの方が述べていらっしゃいました。

8月の感想――わたしたちは決して見捨てません<1>

霊的真理は精神が受け入れる時期が来たときにおのずとそちらのほうからやってくると学びました。真理と出会うには、本を見つけるとか、真理を知っている人から話を聞くとかいろいろな出会い方があります。何年間か勉強をしてくると、自分も真理を伝えていく立場に立つわけですが、時期の来た人に本を渡せるなどを、(霊界からの)インスピレーションを受け取れるようにならないといけないなと思います。また、相手に説明してあげるにも、真理の体系づけがしっかりできていないとうまく説明できません。表面的な理解だけではだめで、普段からもっと整理して勉強しておかないといけないと思います。

真理を受け入れるには出会う時期があり、しかも全部受け入れる必要はない、自分の自由意思で受け入れるかどうかを判断するというところが印象的でした。はじめはわからなくて受け入れられないことが、後になってからわかるということもあります。また、時期というものに関しては、もっと早く知りたかったと思うこともありましたが、よく考えるとやはりその時期でなければ真理は素通りしていたなと思います。今日の学習の中に「霊界から見捨てることはない」というところがありました。以前私は自分の守護霊(だと思うのですが)と話した記憶があるのですが、その時彼(彼女?)にいつもそばにいてくれるのかと尋ねると「います」と語りかけてくれたことを思い出しました。

以前私は、ある宗教に入っていて、そこで布教の体験をしたことがあります。あまり熱心な信者ではなかったので、戸別訪問は1回しか行きませんでした。その時も、あまり教えをよく理解していなかったので、話もできずただついて行っただけでした。結局何もやらずに終わってしまったのですが、かえってそれが幸いだったようにも思います。

「自分の言うことを全部受け入れる必要はない」というシルバーバーチの言葉に謙虚さを感じました。シルバーバーチは地上の宗教の間違っていると思うものは潔く捨てなさいと言っています。自分の家は仏教で、先日のお盆の様子を見ていて感じたことですが、お盆や彼岸、法事などの行事はみんな間違いなのかなという気がしました。墓参りも何の供養にもなっていないようで、なくてもいいんじゃないかと思います。『スピリチュアリズム入門』には自縛霊を諭すということが書いてありましたが…。

自分は宗教というものに関わったことがないので、宗教とスピリチュアリズムとどう違うのかということはあまりよくわかりませんが、自分の場合宗教を知らずにスピリチュアリズムにたどり着いたのは良かったと思います。毎月シルバーバーチのいろいろな言葉を壁に貼って考えているのですが、今月は「紆余曲折した一見とりとめもない事柄が…」という言葉を壁に貼ってあります。すべての出来事が絡み合って現在につながり、将来の生き方を示しているのだと考えています。自分の行動のすべてがこれからの道につながっているのだと思います。1日1回は守護霊に語りかけています。

真理を受け入れる時期があるという話ですが、自分の場合は今年の1月の苦難の体験がそれだったと思います。いろいろなものを読みました。哲学、道教、禅宗、スピリチュアリズム-江原氏(これはいけませんでした)、チャネリング、ヘミシンクなどの本を買って片っ端から読みましたが、どうもよくありません。最終的に2月に入ってスピリチュアリズム普及会のホームページでシルバーバーチを読み、これだと思いました。2月から3月にかけて3回通りは読みました。これが「時期」というものなのかなと思います。今日学んだ中で、イエスは私たちと同じ存在とありましたが、本来は高級天使だったということで、同じようなレベルにはとても立てないと思いました。また、霊界の「私たちは決して見捨てません」ということですが、今日初めて「守られているな」と感じることができました。

シルバーバーチの教えはなんであるんだろう、霊界からなんで伝えたいのだろうと考えてみました。過去にさかのぼっていくと聖書の時代、イエスの生きていた時代に、イエスのはじめの教えが人の手でゆがめられてしまったことにいきつきました。だから2度3度と手を打って、教えをおろすことになってきたのかなと思います。そして今回のシルバーバーチの教えとしておろされてきたのだと思います。

私の家は祖母の代から同じ信仰をしてきました。祖母は字も書けない人でしたが、その信仰の神様の教えを守り「素直で人を助けて生きなさい」ということだけをまじめに実行してきていました。そうした姿は真理通りだと私は思っていましたので、シルバーバーチの霊訓を読んで確かにすばらしいとは思うけれども、そう簡単には今までのものを捨てはしませんよと思っていました。しかし、やはりこちらが正しい道だということを気づかされる方向へ自然と導かれて行きました。霊界が何とかしてしらせてやらなきゃ、教えてやらなきゃということは、必ず何かの形で気づくように導かれます。その中で自分がしっかり正しいことと間違っていることを判断しなければなりませんでした。私のいた宗教の人たちに伝えようと努力をしてきたけれども、ちっともわかってくれない、情けない思いをいっぱいしました。スピリチュアリズムに導かれた以上は、霊的真理のほうに自分を合わせる方向に向けていかなければならないと思うようになりました。先月、主人と自分が病気になって大変な思いをしたことで、ともに霊的真理を受け入れる体制が整ってきたようにも思います。

私はこれまでキリスト教を20数年信仰してきました。キリスト教では、イエスに従わなければ救われない、キリスト教に入らなくては救われないということでした。だから伝道はとても大事で、自分も戸別伝道もしました。しかしなぜ必ず伝道しなければならないのかと戸別訪問をして疑問に思ったりしました。また、教義に疑問を持つこともありましたが、疑問に思うということは信仰が足りないとされてしまい、釈然としませんでした。きちんとした説明はなくあいまいな中に包まれていました。しかし、そうした経験があったので、スピリチュアリズムへの道にたどり着く助けになったのだと思います。霊的真理を周りの人たちに伝えるのは難しいことですが、真理を知ることで自分の考え方が変わってきた事実があります。人に対してアドバイスする中で、世間的なアドバイスとは違ったことができます。考え方が霊的真理を基本にしているからです。そうしたやり取りの中で、この人はというときには霊的真理を伝えようと思います。


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