参加者の感想
読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。
2011年12月18日
今月は、昨年に引き続き、1年の学習の総括として、「自分の好きなシルバーバーチの言葉」「励みとしているシルバーバーチの言葉」を一人ひとり発表してもらいました。
12月の感想――自分の好きなSBの言葉
愛が欲しければ愛のタネを蒔くことです。平和が欲しければ平和のタネを蒔くことです。至るところに奉仕のタネを蒔けば、地上世界は奉仕の精神に溢れることでしょう。大霊の真理はこのように至って単純なのです。あまりに単純過ぎるために却って地上の「お偉い方々」にはその重大性がお分かりにならないのです。
『シルバーバーチは語る』18章 霊界側から見た戦争 P297↗
数年前から野菜作りをやっています。野菜作りにあたっては、化学肥料や動物性肥料などを一切使いません。仲間16名と1400㎡の畑を手で耕しています。そこでできるだけ多くの野菜をつくり、みなに分けています。家族や知人、隣近所の人にも味わってもらいたいと思っています。それでもあまるほど作っていますから、障害者の施設などにも提供しています。これ以外にも市民農園でも野菜をつくっているので、そこでこういうことをしていると話しています。さらに、高年大学の環境農学科にも通っているのですが、そこでもこういうやり方で自分は野菜を作っていますと話しています。(高年大学の農学科では、農薬や化学肥料を使う一般栽培を中心にしています。)それは自慢ではなく、こうした方法を多くの方が知って実行してくれたらいいなと思って、種をまくつもりで話しているのです。そうした中で、高年大学の6名が私のグループに入れてほしいといってくるようになりました。市民農園の人の中でも、私たちの畑を見て、自然農法を始めた人たちも8名ほど出てきました。確実に自分の考えている野菜作りが浸透してきたと思います。そしてこれからはそれだけではなく、こうした人間関係をできれば霊的真理を伝えられるようなつながりにしていけたらと思っています。
地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一部の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。
『シルバーバーチの霊訓』〈1〉3章 なぜ苦しみがあるのか P58
因果律が働くということが納得できました。霊的真理を知る以前は、人生を得とか損ということで考えてきたように思います。しかし、この人生だけを計って自分が損とか得ということではなく、今まで自分になにかがあったのかもしれないし、それがどう風にまわっていくかということを考えたら、自分の人生得も損もないんだなあと思えるようになりました。また、この人生だけだったら何か悪いことして逃げることだってできるし、金もうけだけしてよしということもできるけれども、これが因果律で自分がまいた種は自分が刈り取ることになると考えるようになると、悪いことをしようとか得をしようという気持ちがなくなってくるので、短い目での損得ということは考えないようになりました。
いずこを見ても、永遠なる摂理の不変性の証にあふれております。雪に埋もれ、冬の暗闇の中で眠りつづけていた生命が目を覚ましはじめます。春の息吹きがいたるところに見られます。神なる園丁(えんてい)が人間には真似ることすらできない腕の冴(さ)えを披露いたします。そしてやがて、つぼみが花と開き、美しさが一面に広がります。
春のあとに夏がつづき、夏のあとに秋がおとずれ、秋のあとに冬がめぐってきます。その永遠のサイクルに進化の要素が伴ってまいりました。これからも進化を伴いつつめぐりつづけます。同じように、皆さんも生命の冬の季節から春を迎え、やがて夏に向かって内部の神性を花開かせてまいります。
こうした規則正しい自然の流れの中に、大霊の働きの確実性を見て取ってください。その大霊の力があなたを通して働くように仕向けさえすれば、言い変えれば、大霊の道具として役立てる用意さえ整えれば、確実な知識にもとづく叡智とともに、豊かな恩恵をわがものとすることができるのです。
地上の人間には失望させられることがあるかも知れません、信頼していた同志から裏切られることがあるかも知れません。国がこしらえた法律や条令によって欺(あざむ)かれた思いをさせられることがあるかも知れません。しかし、大霊は絶対に裏切りません。なぜなら、完全なる摂理として働いているからです。
その働きの邪魔だてをしているのは、ほかならぬ自分自身なのです。自分の無知の暗闇を追い出し、正しい知識の陽光の中で生きなさい。そうすれば、この地上にあって天国の喜びを味わうことができるのです。
『最高の福音』9章霊の優位性にもとづく修養生活―これが最高の生き方です。256↗
以前苦しいことがあって、2~3年くらい前にそれが終わってなだらかな感じになったのですが、その時にこの先自分はどういう風に生きていったらいいのかと思いました。その時は、すごく欲深かったのですが、「この幸せを手放したくない、どうすればこの幸せが続くのだろう」と真剣に考えて、どこかにその答えがないかといろいろな本を読んで探しました。その時に出会ったのがSBでした。その中に、私たちは苦労をしていろいろなことをわかっていく存在だということなどが書かれており、びっくりしました。宗教とかもやったのですが、幸せになるためにやっていました。幸せになりたい、幸せになりたいと思っていて、やっと幸せになったと思ったらSBの本に出会ったのです。そしてそんなものじゃないということがわかって、今では「苦労、来い」という気持ちに変わりました。真理の理解は、まだ進行形でもう少し理解が深まらなければならないと思っています。しかし、読書会を通して得るものがたくさんあって、すごいスピードで自分が変わっていると感じています。
いついかなる時も、あなたの身のまわりには見えざる存在がいてあなたを導き、守護し、あなたの存在価値を最大限に発揮させるべく働きかけているということです。一人ぽっちでいることは決してありません。見捨てられることは絶対にありません。いついかなる時も愛のマントに包まれております。その愛の力は霊の力です。全生命の始源です。太陽を、月を、星を、海を、山を、全生命を、全宇宙を創造した力なのです。
行く道を問題がよぎることがあるかもしれません。かまわないで放っておけばそのまま行ってしまいます。居座ることはありません。解決できないほど難しい問題は生じません。背負えないほど重い荷を背負わされることはありません。取り越し苦労はいけません。明日がもたらすものに不動の信念と断固たる精神で立ち向かいなさい。万事うまくいきます。
私は地上の同志の方に、気楽な人生、何の障害もない人生をお約束することは絶対にできません。私から言えることは、障害も困難も、その一つ一つが挑戦すべき目標だということです。一つ克服するごとにあなたは霊的に成長するのです。
『シルバーバーチの霊訓』〈10〉 P11
この言葉(前の2つ)を1年壁に貼って、出かけるときにはこの言葉を音読してでかけるようにしています。外へ出るとさまざまな困難に立ち向かうことになります。その時に、前へ自分を押し出していかないと、自分が負けそうになるので、この言葉を声に出して出かけることにしています。こうしたことを1年間続けています。そして1週間前に、これまで1年以上苦になっていたことがぱっと解決して、やっぱりそうなんだなと思いました。が、そのあくる日に電光石火のごとく次の困難がやってまいりました。この2つの言葉は、「守り」「慰め」の言葉でした。これからはそれを頼っていてはいけないと思うのです。そこでこのことば(3番目)を壁に貼りました。書いてあることは、その時読んでもわからないのです。それを経験として自分の中で消化することによって、「ああ、こういうことだったのか」ということが分かるようになります。何回も読んで、そのたびに新しい発見があるというのも、人間は経験によってしか成長しないので、その経験をするとシルバーバーチの言っていた言葉がこういうことだったのかと分かるようになるのだと思います。私はせっかちなので、問題を何とかしなきゃとすぐ思ってしまうのですが、こういうことを知っていると、思い煩うことがなくなり、時期さえ来れば解決するのだと思えるようになりました。
地上の人間は“身体”を中心に物事を考えます。私たち霊界の者はその身体を通して自我を表現しなければならない“霊”に事を第一に考えます。その霊が正常に自我を表現しておれば、身体との関係も自然にうまくいきます。なぜなら物質は常に従者の立場にあり、主人ではないからです。霊が王様で物質はその従臣だということです。
この真理が今日ここにお集まりの方々の人生を明るく照らし、大きな革命をもたらして参りました。自分とは何かを見出されました。地上の言語では表現できない真理、地上の富では評価できない悟りを得てこられました。
霊こそ実在であるという真理は永久に不変です。これが全ての謎を解き、全てをあるべき位置にあらしめるカギです。大切なのは身体への影響ではなく、魂の琴線触れる体験です。ですから、私はこれより先のあなた方の生活に問題が生じないとは決して申せません。もしそんなことを言えばウソになります。
地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。霊的開発と成就への道においては困難と苦痛と障害とハンディが必要不可欠の要素です。もしも霊的な宝が容易に手に入るものであれば、それはもはや手に入れるほどの価値はないことになります。自己鍛錬、自己制御、自己開発、これを成就するのが人生の目的です。これは容易にできるものではありません。王道はないのです。…(中略)…魂の真の満足は内的な静寂と輝きとなって表れます。すなわち真の自我を見出したことから生まれる魂の平安と自信です。魂がその状態になった時を“悟った”というのであり“神を見出した”と言うのです。そうなれば人生のいかなる苦しみにも負けることはありません。なぜなら悟りを開いたあなたは、いついかなる時でも神の兵器庫の扉を開けることができるからです。また、あなたに解決できないほど大きな問題、背負えないほどの重い荷を与えられることはありません。それが与えられたのは、それだけのものに耐え得る力があなたにあるからです。
『シルバーバーチの霊訓』〈1〉11章 おしまいに
悟りということですが、悟りは永遠にそしてその人の霊格に応じて悟りがある。そして悟れば悟るほどその奥に深いものがある。知識と同じで悟りも永遠に続くものだというところが身に沁みているところです。
あなたはまだ、このわたしをよくご存知ではありませんが、すでによくご存知の方に再三申し上げてきたことを、あなたにも申し上げます。自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。世間がどう言おうと構うことはありません。まわりの人が何と言おうと気にすることはありません。自分で正しいと思うこと――この方が得だとか都合がよいとかではなく、心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです。いたって単純なことなのです。ところが地上。という世界は、その単純なことでは気が済まないところのようです。複雑なもの、込み入ったことがお好きのようです。そろそろ平凡に思えてくると、真実とはもっと難しいものなのではないかと思いはじめます。そこでわたしは、あくまでも良心の声に従いなさいと申し上げるのです。良心とは内部に設置されている、神の監視装置――当人にとっての善と悪とを選り分け、進むべき道を決断するための手段です。
『最高の福音』1章 この私が誰であるかは、どうでもいいことです P37↗
この中で「自分で判断して、これが正しいと思う生き方をすればよいのです。」という言葉が好きです。これまで生きてきて、周りの者に影響されたり、多数の人の思ったことがいいんだと勘違いしてしまったりして、自分をごまかしていたことがよくありました。だからこういう世間の人や常識にとらわれないように、毅然として自分の理性から出たものを確信して、自分の進むべき道を決めるのにふさわしいものが霊訓なのだと思いました。「心の奥でこうするのが本当だと確信した道を選んで、突き進むのです」とありますが、シルバーバーチの本を気持ちを入れて読み進めていると、霊的真理を土台とした生き方を一生かけて目指していきたいと思います。シルバーバーチのいっていることは、今の自分にはとてもハードルが高いのですが、地道に自分のできることをやっていきたいと思います。
いずれにせよ体験というものは、そちらにせよこちらにせよ、何一つ無駄なものはありません。そのことをよく胸に刻み込んでおいてください。あなた方の心から出た、人のためを思う思念、願い、行為は、いつかはどこかで誰かの役にたちます。その心に感応して同じ心を持つ霊を呼び寄せるのです。
つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかに掛かっています。大切なのはそれだけです。知識は無いよりは有るに越したことはありません。が、その人の真の価値は毎日をどう生きたかに尽きます。
『シルバーバーチは語る』12章 死後の世界 P219↗
自分が人のためにできることは何かなと考えると、本当に役に立っているという機会がなかなかないように思います。しかし、最近では、そうした心を持って小さなことでも困った人を助けてあげるというように、霊的なこととは関係ないことですが、それでもいいのかなと思えるようになりました。こうしたことの積み重ねによって、いつか自分にも霊的真理を伝える機会ができてくる、あるいはその人が気づく機会ができてくるのかなと思います。
大霊とは宇宙の自然法則です。全生命――物質界のものと霊界のもの全て――の背後の創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。それが全宇宙のすみずみまで行きわたっているのです。人間の知り得た限りの小さなものであろうと、まだ物質界には明かされていないものであろうと、同じです。
『シルバーバーチは語る』1章 神とは何か P120↗
神よ、なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智、あなたの慈悲を知る力を授けたまえ。
『シルバーバーチの霊訓』〈5〉 P158
無限なる愛の手が常に差し伸べられており、今まさに自分がその愛に触れたのだということを自覚し、そして理解します。人生は生きがいのあるものだということを、今一度あらためて確信します。
『最高の福音』7章 偉大さの尺度は奉仕的精神の度合いにあります P202↗
この個所(1番目)は、以前から創造的エネルギーという言葉をキーポイントとして大事にしています。個々の所はすごく気に入っています。以前は自分の病気が苦労だと思っていたのですが、最近はくと感じなくなりました。その点では自分も成長したと思えます。慈悲の心を授けたまえという言葉を毎日の祈りの中に込めたいと思います。
一つの仕事を始めると、遅かれ早かれ難問が生じるものです。しかし克服できないほど大きな問題は生じません。先のことを心配してはいけません。私も大きな歯車のひとつに過ぎません。歯車は確実に回転します。それを動かしている力は、物質界と霊界とを包含する宇宙を経綸している力なのです。その力が森羅万象を生み出したのです。星雲を太陽を惑星を大海を山を花を小鳥を動物を、そしてあなた方人間を生み出したのです。それほどの大きな力があなた一人の人生にてこずるわけがありません。私たちは人間の挫折を見たくて戻ってきた野次馬ではありません。私たちがお持ちした霊力はすでに地上に根付いております。その力を阻止できるものは地上には存在しません。背後霊(日本での守護霊)に全幅の信頼を置きなさい。
『シルバーバーチの霊訓』〈12〉 P161
笑顔のあるところに大霊の働きがあるのです。悩みの中にあっても笑いを失ってはいけません。それができるようになれば、何事も必ず解決します。このことは私が長い間、繰り返し申し上げてきたことです。俗世のことに悩まされて、笑顔を忘れるようでは、まだまだ真理を悟ったとはいえません。
『シルバーバーチの霊訓』〈12〉 P159
悩みが多いとなかなか笑顔が出ません。仏教では「和顔施」というのがあって、笑顔も小さな布施の一つとしています。大きなことでなくても小さなこうしたことからはじめていくのもいいなと思っていたときに、このシルバーバーチの言葉が目に入り、通じるところがあるなと思いました。なるべく日常生活の中でも、こうしたことを忘れないでおきたいと思います。また、シルバーバーチは、霊力に全幅の信頼を置きなさいといっています。霊的なことであっても日常生活の中であっても、いろいろな問題が起こってきます。そういうときであっても、背後霊がよきに計らってくれている、長い目で見てくれているはずなので、悪あがきをせず、がんばっていけば無駄のない道を歩んでいけると感じます。
どうか謙虚にそして畏敬の念を持って真理を迎えてやってください。謙虚さと畏敬の念のあるところには、真理は喜んで訪れるでしょう。そしてせっかく訪れてくれた真理が少しでも長居してくれるように手厚くもてなしてあげてください。真理こそがあなたに自信と確信と理解力とそして何にも増して永遠に失われることのないかけがえのない霊的事実をもたらしてくれることでしょう。
愛は霊性の最高の表現である。愛とは感動である。愛とは慈悲に富み、愛は妬まず、誇らず、高ぶらず、非礼をせず、おのれの利益を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてを許し、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐え忍ぶ。
この言葉(前半)を始めて聞いた時、胸がすーっとしました。わたしが本当に好きな言葉で、毎日主人とシルバーバーチを読んでいるのですが、初めにこの言葉を読みます。そして、(後半の)この言葉を始めて聞いた時は、驚いてしまいましたが、私たちが「努力します」というところを受け取ってくださるのではないかと思います。
『シルバーバーチの霊訓』は、まさに輝く言葉の宝庫です。勇気付けてくれる言葉、真摯に心を定めさせてくれる言葉、温かく包み込んでくれる言葉…今回の感想からは、皆さんがそうしたシルバーバーチの言葉を大切にし、自らの霊的レベルアップのために活用していらっしゃることがよくわかりました。まさにシルバーバーチの言葉は“実践”のための言葉です。