参加者の感想
読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。
2011.9.18
今月は、先月に引き続き「第3章わたしたちは決して見捨てません」を学びました。従軍牧師の夫に先立たれた妻との対話から、死をどう捉えるかということについて考えられた方が多かったようです。
9月の感想――死は必然、悲しむべきものではない
熟していないリンゴが落ちるという話がありましたが、自殺もその一つだと思います。日本は自殺の多い国です。先進国の中で言うとロシアは多いけれどもアメリカやヨーロッパは自殺が少ない。なんで日本は自殺が多いのか考えました。日本人は非常にまじめな国民なのでストレスがたまるということと、宗教の問題があると思います。欧米ではキリスト教の影響があって死ぬことはダメだということがあると思います。こうした自殺を防ぐためにも、霊的真理を少しずつ広めていくということが我々真理を知ったものの課題なのかなと思いました。
生まれる前に守護霊と地上人生の青写真を描いて来ていると思うのですが、真理を知らなかった若いときは死が怖かったです。今では死の時期が来たときには逆に喜んで迎えられるようになると思います。食べていくために働かなくてはならないこともなくなり、様々な地上的なわずらわしさからも解放され、人助けなど本当に自分のやりたいことが思う存分できるのだということがわかってくると、これからの人生もそれに合わせて変わっていくと思います。自分の先、未来は見えませんが、やるべきことをやっていれば、動機さえ正しければ必ず霊界から何かの援助があるということがわかりますし、実感もしています。
“死期について”というところが印象に残りました。シルバーバーチはこの牧師さんが霊的に十分な用意が整って、肉体も十分に目的を果たしてそのうえで朽ち果てたと言っていましたが、その前に奥さんにご主人の仕事はまだ終わっていない、問題も前途に山積みになっているとも言っていました。こんな状態で霊の用意が整うのかなあと疑問に思いました。また、病気の人でも霊に用意が整った時には、まだやりたいことがあっても治ることなく霊界に行くのかなと思いました。
霊格が一定レベルまでいったら霊的真理を知ることができるということではなく、今は地球の人類すべてを救うために大霊はすべての人にあまねく霊的真理を与えている時期なのだと思います。その中で自分は何をすべきかと考えると、自分の今の立場でできるのは、霊的真理を伝えていくこと、なおかつ自分より不幸な人に少しでも光を与えることが使命なのかなと思います。
自分はまだ未熟なスピリチュアリストです。霊的知識は知ったが、まだ確信を抱くまでにはなっていないように思います。どうやったら確信を得られるかなあと今日は思いました。地上天国・エデンの園についてですが、9.11テロから10周年になりましたが、湾岸戦争、テロ、中世の十字軍のころから、キリスト教とイスラム教という宗教が一番の問題だなと思いました。
死を悲しんではいけないなと思いました。神の子等と助け合ってということは、世間一般ではなかなかできないことですが、そういうことがもっと早くたくさん広まったら、スピリチュアリズムがもっと普及したらと思います。神様は見ていると毎日感じています。
だんだん自分が成長しているんだなと感じています。みんなと一緒にいると心強いけれども、いざ進もうと思った時には、やっぱり自分ひとりで進まなくてはならないと思いました。人をあてにせず、本当に自分ひとりで進まなくてはならないことがあるということを最近よく感じます。
スピリチュアリズムを信仰するものは、これ(霊的真理)が真理だと信じているわけですが、キリスト教や現在の仏教や宗教などは間違った教えをずっと信じています。そうすると死んで霊界に行ったらそれを引きずってまたやり直さなければならないということになる。こういうことがないように自分たち霊的真理を知ったものは、時期の来た人に伝えていかなくてはならないと思いました。地上人だけれども、霊的視野でものを見るようにすればよいと思います。高級霊の道具としてそういうことを伝えていけたらと思いました。