シルバーバーチの霊訓抜粋集

名古屋シルバーバーチ読書会

シルバーバーチ霊訓抜粋集

シルバーバーチの霊訓の心に残る言葉をのせてみました

 

さあ、元気を出して、どこででも、可能なかぎり霊的知識を説かれるがよろしい。受け入れようとしない人もいるでしょう。そういう人には心の中で涙を流してあげなさい。せっかくのチャンス、掛けがえのないものを手にする好機を失ったのですから。が、たった一人の魂に目を覚まさせることができたら、あるいは、たった一人の病人を癒やしてあげることができたら、そして無知の暗闇の中に叡智の光を灯してあげ、背負っている重荷を少しでも軽くしてあげることができたら、それはあなた方がこの世に生まれてきた目的を果たしていることになるのです。

『古代霊シルバーバーチ最後の啓示』P109/7~後ろから2

ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いということです。人間界でいうところの 〝劣等感〟(コンプレックス)です。現在の自分の身の上がいくら惨めでも、かつて前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。
しかし再生とはそういうものではありません。(前世では〇〇という人物だったと言うのはナンセンスです。と別のところで述べている──訳者)。 自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとは限りませんが。その場合は霊界において清算されます。

『シルバーバーチの霊訓』(10)P125/1~6

「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。
"死ぬ"ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。
地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」

『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ>』
1章 死ぬことは悲劇ではありません ↗

人間が無限の存在だからです。一瞬の間の変化というものは生じません。永い永い進化の旅が続きます。その間には上昇もあれば下降もあり、前進もあれば後退もあります。しかし、そのたびに少しずつ進化していくのです。

霊の世界では、次の段階への準備が整うと、新しい身体への脱皮のようなものが生じます。ですが、その界層を境界線で仕切られた、固定した平地のように想像してはなりません。次元の異なる生活の場が段階的にいくつかあって、お互いに重なり合い融合し合っているのです。地上世界においても、一応みなさんは地表という同じ物的レベルで生活なさっていますが、霊的には一人ひとり異なったレベルにあり、その意味では別々の世界に住んでいるとも言えるのです。

『シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音』
6章 人類は苦しみつつも、一歩一歩、光明へ向けて進化しておりす  ↗

宇宙はたった一つです。が、その中に無数の世界が存在するのです。生命はたった一つです。
……(中略)……
ですから、皆さんの視界から消え去った過去の人たちは、今もあなたと同じ宇宙の中で生き続けているのです。しかし、界層が異なります。波長の次元が異なります。次元の異なる意識の中で生活しているのです。それでいて、あなたと同じ場所にいるのです。その肉眼に見えないだけです。それはちょうど、あなた自身は気がつかなくても、あなたは今わたしの世界である霊界にいるのと同じことです。
生命のあらゆる側面が一つに融合しているのです。仕切り線というようなものはありません。その中に物的な側面と霊的な側面とが存在し、同じ場所で融合しているのです。たとえてみれば、無線の周波のようなものです。あなたのいらっしゃる同じ位置に、周波数の異なる電波が無数に存在するのです。宇宙空間に充満しているのです。

『シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音』P33/3~P34/9 ↗

この世界に来て芸術家は地上で求めていた夢をことごとく実現させることが出来ます。画家も詩人も思い通りのことが出来ます。
天才を存分に発揮することが出来ます。地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。
地上の言語のようなぎこちない手段を用いなくても、心に思うことがすなわち言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。

『シルバーバーチの霊訓』(4)五章 死んだらどうなるか

続いての投書は “他界した人たちには、私たちから送られる思いやりや祈りが通じているのでしょうか。愛の力を霊界での仕事に使用できるものでしょうか” というものだった。シルバーバーチが答える。

「それは、両者の間に真実の愛または情のつながりがあるかどうかによって違ってきますが、大体において、切なる思いや祈り、幸せを願う気持はその霊に通じ、力になります。」

『シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音』
5章 人間は生まれる前も、今も、そしてこれからもずっと霊です ↗

もしも地上の人間のすべてが正しい知識をもち、自然な生き方をすれば――もしもですよ――そうすれば、死に方があっさりとして、少しも苦痛を伴わなくなります。そして、死後の霊的身体を調節する必要もないでしょう。 ところが残念なことに、実際はそんなにうまく行っておりません。

地上を去って霊界へ来る人のほとんどが、自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのように出来あがっているのか、霊的な実在とはどんなものかについて、恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちにこちらへ来る人が、それはそれは多いのです。

シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音> 3章  ↗

そういうわけで、あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。 何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。

霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。 ハイハイしながらの行動しかできません。睡眠中に訪れた時の記憶は一応思い出すのですが、それがちょうど夢を思い出すのと同じように、おぼろげなのです。

『霊性進化の道しるべ』1章 死ぬことは悲劇ではありません ↗

物的身体の存在価値は、基本的には霊(自我)の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。そのことを知っている人が実に少ないのです。
身体が存在できるのは、それ以前に霊が存在するからです。霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。

シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来』P194/後ろから4~ ↗

死が訪れると、霊はそれまでに身につけたものすべて――あなたを他と異なる存在であらしめている個性的所有物のすべて ――をたずさえて、霊界へまいります。意識・能力・特質・習性・性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存続するのです。

『シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来』P256/6~9 ↗


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