参加者の感想

名古屋シルバーバーチ読書会

参加者の感想

読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。

2013.3.17

今月は、先月に引き続き、「摂理の神」と「真理の普及」を中心に学びました。日々の生活の中、皆さん「こんな素晴らしい真理を人になんとか伝えなくては」と思い語るのだけれども全く受け入れられない、なかなか人に伝わらないという苦労をしていらっしゃいます。こうしたことは、霊的真理を知り、普及したいと思う人が必ず通る“道”です。また、真理を伝える前にまず自分を正さなくてはという思いを語ってくれた方も何人かいらっしゃいました。これも真理を知って成長していく順当な過程です。こんな感想を聞くと、皆さん本当に順調な霊的成長の道を歩んでいらっしゃるのだとうれしく思います。守護霊の導きを素直に受け入れようという心掛けもさらに良い方向へと導いてくれることになっているのでしょう。「自分はまだまだで…」と思って苦しんでいる時こそ、成長の過程にあるのだということなのでしょうか。

3月の感想――2章悟りは苦しみの中から生まれるのです〈2〉

以前、シルバーバーチの本を「いいですよ」という程度で勧めていた人から、最近メールで「シルバーバーチを読みました」という連絡をもらいました。自分で本屋へ行ってシルバーバーチの本を買って読みだしたそうです。その人に何かあったのかもしれませんが、この人のように自分から行動を起こすようなにならないとだめなのかなと思います。今まで何にも反応しなかった人が、自分からシルバーバーチを買って読もうという気になってくれたのがうれしかったです。「あなたの行為によってたった一つの魂でも救うことができれば、それだけであなたの人生は無駄でなかったことになります」という言葉のように自分が少しでも役立てたなら本当にうれしいことです。

霊的真理を理解した人たちに対して「地球浄化のための戦いに参加してください」というシルバーバーチの言葉がたびたびでてきます。私も(その戦いに)参加したいと思っているのですが、それが頭だけのものでなかなか実感をもって参加していると感じられずにいました。しかし、今日の学習の中で出てきた、シルバーバーチがいてレッドインディアン(霊界の霊媒)がいてモーリス・バーバネルがいて、シルバーバーチの背後に大霊団がいてという図を見ていたら、私の背後にも究極的にはその大霊団がいてくれるんだと思い、私も兵士の一員として真理普及の戦いに参加していけるのかなという気持ちが芽生えてきました。そしてまず自分が自分をしっかりと救い、その輝いている自分を見て人が変わっていってくれたらと思いました。

霊的知識は受け入れられる人が受け入れるということですが、両親なんかはなかなか文字を読むということが難しいのでnHKの「お迎え現象」のビデオを見せたりしています。そして霊的真理を受け入れた人には、それに対して責任が伴うということも話しています。スピリチュアリズム普及会のホームページはシルバーバーチがソースになっているということですが、ホームページの内容を見ると、やはりたくさんの啓示を受けて書いているんだろうなという感じがしています。

摂理の神、完璧な神の法則ということですが、言葉ではよくわかっていましたし、とても腑に落ちていました。神様が摂理を通して人間に個々に働きかけていて、そしてそれ以上に神の摂理の後ろには神の深い慈悲があるというところがとても納得できました。自分が人のために役に立ちたい、向上したいという気持ちを持った時には、そこからは慈悲の心が働くような気がします。私には、今苦しんでいる友達がいます。その人は容姿も素晴らしくご主人もエリートで、子供さんも出来が良くて、何も悩みのないような人なのです。そんな友人が苦しんでいる、こんな人でも悩みがあったり苦しみがあるんだ、この人に悩みが始まったということはここから先がこの人が救われるチャンスなんだ…と思えるようになりました。自分もこんな風だったのかなと思い、以前と変わったということを感じています。

自分の家族に何とか真理を知ってもらいたい、少しずつでも真理をわかってもらいたいと思い働きかけています。そしていずれは夫婦そろって読書会に参加できるようになれたらと思い、努力を重ねています。

「地上での束の間の人生を、なんとか価値あるものにすることに専念なさることです」というところが印象に残りました。霊的なことを知ると、この地上人生は本当に束の間の人生なんだなと思えて、それを価値あるものにできたらと思います。そしてそのあとの「たった一個の魂のためにあなたの存在を役立てることができれば、それだけであなたの人生は失敗でなかったことになるのです」も印象深かったです。自分は家庭にいることが多いのですが、外へも広がりを持ちたいと思って考えて活動していこうと思っています。

シルバーバーチの霊訓の中に、教会の牧師さんに「あなたに限って言えば、教会にとどまってその中から理解してくれる人に真理を伝えなさい」というところがあります。自分も(以前からの主教の)教会の中にとどまって伝えていこうと思ってこれまでやってきました。が、最近違うような気がしてきました。自分の中できちんと整理して、そちらの道のほうに合わせなければならないのだと思えてきました。

神は平等であるということは、原因と結果に表れていくということを心にとめておいきたいと思いました。

苦しみの原因はどこから来ているのかなと考えました。地上世界の諸悪の駆逐のための戦いというのは、戦争・宗教・貧困・飢餓といったものを駆逐するための大きな戦いで、それに私たちが参戦しているんだなと思いました。自分はもっと霊的真理を学んで、咀嚼・理解して、自分なりに真理普及できればいいなと思っています。

霊的知識というのは準備のできた人にもたらされるということで、昔のことを思い出しました。学生の頃、自分のところにキリスト教の人が訪ねてきて、その時「神様なんていませんよ」と断ったことがあります。その時は人間が霊の存在なんだとは全くわかっていなかったのでそうしたのですが、そのあと、就職してからキリスト教に入って、人間が霊の存在なんだということを学びました。そこで土台ができました。そのあとシルバーバーチに出会い、学ぶようになりました。こうしてすべてがつながってきているように思います。これが初めからシルバーバーチの紹介で来ていたら、たぶん受け入れていなかったかもしれません。しかし、今までの人生の中でいろいろな経験をしたことによって少しずつ受け入れられる段階に行けたということなのだと思います。守護霊などの背後の導きもあってのことなのでしょうが、偶然ではなく、求めていればそういう準備が整って、受け入れていい時に与えられるんだなということを学びました。

人生の目的が霊性を向上させることであるということは、頭では理解しているのですが、実際に霊性が向上した状態とはどんな状態か今一つわかりません。たとえば自分が今より霊性が向上した状態で今の人生を送ったら何が違ってくるのだろうと考えているのですが、苦しみに対する対処などが変わってくるのかなと思っています。そうするとやはり苦しみへの正しい対処の仕方をしていかなくてはいけない、そうすれば霊性が向上するように思います。日常から離れると意識を向上させることができるのですが、また日常生活に戻ると、すぐにその霊的意識を忘れてしまって、同じ苦しみの中で堂々巡りをしてしまって、日々葛藤しています。このところ、こうした自分の内面の問題ばかりにとらわれていて、周りの人に対する思いが不足していることに気づきました。自分に対しての内面の戦いと、周りの人に対する思いやり、これをバランスよくやっていかないといけないと思いました。

摂理に関して身につまされることがありました。毎朝通勤で通る駅のところで事故があり、女性が亡くなり、それ以後そこで毎日娘さんが泣いている姿を見ます。それを見ると奥さんは亡くなる時期であったのか運命であったのか、と思いながらも摂理は無常だなあと思いました。しかし、肉体がなくなってからでも霊は生き続けるので、地上で肉体をもって生きてきたときと亡くなってからのことと双方を加味して考えればいいと思います。だからこの娘さんもそこを乗り越えて大きくなることによって霊性が磨かれていくので、今かわいそうだと思うよりも、その人が乗り越えていってくれることを願っています。

「神が窮地に陥った人間を特別に救ってくれるということはない(摂理を通して現れる=完全な平等)」これが本当に好きです。今まで思ってきた神観とは違うというか、これが本当に真実なのだと感じています。そして「ですから、わたしが申し上げていることに賛成してくださらなくても、あるいはわたしが間違っている――とんでもないことを言うヤツだ、と思われても一向にかまわないのです。…わたしの申し上げることがしっくりこないという方に押しつける気持は毛頭ありません。わたしに知り得たものを、精いっぱい謙虚に、精いっぱい敬虔な気持で披瀝するだけです。」といったくだりも、伝道の理想的な姿だと思います。私も、人生について悩んでいた学生時代に一人の伝道師に出会って人生の目的を教えてもらって救われ喜びに満ちて歩んできました。その後いろいろな矛盾を感じて、今こうしてシルバーバーチに出会って、また伝道された喜びが前にもまして深く湧いてきています。そのことを思ってみると、自分の知りえたことを手渡していけるように、いろいろな人たちに接していきたいと思います。ただここで安心なことは、今までだったら相手に伝わらなかったら、手段と方法が悪いとか、どこまでも自分の責任として追及していました――言ってみれば他人の永遠の命にまで自分が関与するというようなすごく傲慢な思いがあったのですが、決してそうではないということです。手渡して相手がどう思おうと、自分はただひたすら時期が来ている人に出会えるように歩んでいくということが大切なのだと思います。またそういう人に多く出会っていけたらなと感じています。伝道の本質、真理の伝達の本当の姿を知って本当に感動しました。

2月に仕事をしているときにいろいろあって、「なぜ?」と思ったことがありました。その時にふと神様は全知全能で私のすべてを知っておられる、だから「なぜ?」というのは神に対して失礼だと、すべてをご存じでよきに計らっている神に対して、自分から「なぜ?」というのは神様に「おかしいんじゃないか」と言っているような気がしました。「あ、これはいけないな。なぜ?という言葉は禁句にしよう」とそういうことを思いました。
物的摂理というのは私たちの目の前にすぐ表れて誰でもわかりますが、霊的摂理というのはなかなか実体験できません。それがすぐに結果として目の前にあらわれてきません。だから人に伝えにくいし、そうした自然の法則・摂理があるんだということが実感として湧かない。人間は霊界で永遠に生きるから霊的真理のほうが大切で、物的真理はこの地上限りのものだからそれに比べればたいしたことはない、だから霊的真理が重要だということが今日理解できたと思います。

今まで本を読んだりWEBサイトで知ったりしたことを頭の中でああだこうだと考えていましたが、今日改めてここで説明してもらえて、すごくびっくりしました。やっぱりこういう考えを持っている人が現実にいたんだということを確認できたのが心躍る思いでした。今日の内容についてですが、すごく大事な基本的な真理なのに、皆さんなんで知らないのだろう、なんで興味持たないのだろうと思います。しかし、自分のいうことなら聞いてみようかと人が思えるくらい自分がちゃんとしていないと人には伝えられないと思います。まず、日常の生活・仕事の中できちんとしていって、人間的に認めてもらってからでないといけないと思いました。自分がちゃんとして人から信頼のおける人間と思われるようになってから真理を伝えていきたいと思いました。まず自分が変わらないと人には伝えられないと思います。

ここへ来る前、自分のエゴ・自我が出てきてイライラしていました。ここへ来て、摂理・利他性という一番大きなことを思い起こして落ち着くことができました。日常生活の中では、どうしても自分の中のエゴがでてきてしまいます。基本的には苦しんでいる人に手を差し伸べたいという気持ちはあるのだけれど、どこかでエゴな自分が偽善的になっているんじゃないかという思いがあって、自己矛盾に陥ってしまうことがあります。だからまず自分を浄化したい、そのために真理をしっかり学んで自分をニュートラルな状態にもっていけるようになりたいと思いました。人に得心させるような感じで、真理を手渡すことができるような自分になっていきたいと思いました。


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