参加者の感想
読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。
2013.6.16
今月は、霊界の界層について、霊的知識を知ることのメリット、そして男女の問題について学びました。
6月の感想――3章知識はすべて、ためになるのです〈2〉
今日、会場に来るのにナビを使ってきたのですが、先回来たときは実は道を間違えてしまいました。しかし、今日はナビ通りに来たらすんなりとつくことができました。こうした車のナビと同じように、私たちには“人生のナビ”というものが備わっているのだと思います。再生してくるときに描いてきた人生を、ナビ(良心)にしたがって生きていけば、苦労してもそれなりに目的地に着くことができる。しかし誘惑に負けて「ああ、あそこで食事をしていこう」とか外れてしまうと、ごちゃごちゃした道を進んでいかなくてはならなくなる。やはり人間にも人生のナビ(良心)がついているんだから、それに素直に従って順調に成長していかなければと思いました。
今日学んだ中で、神様は自分の意志で成長してほしいと思っていらっしゃるというのは、本当に心から納得できます。だからこそ、もっと勉強して、知るだけではなくもっと実践していきたいと思います。
少し前に姉が病気で霊界に逝ったのですが、その姉に「すなおが宝というのはこの地上よりあちらの世界ではもっともっと大切なんだよ。だから霊界の人の導きに合わせて素直についていくんだよ。」と伝えていました。これだけは伝えておきたいと思っていたことでしたので、最後にこれが伝えられて本当によかったと思います。私たちは霊界のことをわからないながらも知識として知っているのだから、人に伝えなければならないと思っています。
知識はすべてためになるということを勉強して、高校生の時の倫理社会で学んだことを思い出しました。ソクラテスの「無知の知」というものです。これまでの人生の中で、何度も「自分ってわかってないんだなあ」と思うことがありました。本当に知るということは難しい、自分は本当にはわかっていない、本当には理解していないと思うことが何度もありました。今日勉強したところの中でも、霊的知識を得るということがありますが、シルバーバーチの霊訓を読んで、霊的知識を本当にわかるかというと、そうたやすいことではないような気がします。わかったような気になっているというのが正直なところのような気がします。何度も再生を繰り返して、疑って試行錯誤して、体験してやっと少しずつ身についていくように思います。だから、もう少し知ったかぶりの自分を戒めて、謙虚な気持ちをもって一歩一歩進んでいきたいと思います。
若いころはあまり自分で考えるということをしなかったのですが、結婚してから身近な最小単位の集団である家族の中で取り越し苦労をするようになっていたと思います。そうした中でいつも最悪のことばかりを考えるということを繰り返していました。霊的真理を知って、そうした傾向がずいぶん変わりました。
最善を尽くしているときには、真理を知らなかった時でも何か助けがあるなということを感じたことがありました。今日勉強した自分のまわりには身近に友愛と親切心と協調精神に満ちた霊が身近に存在してくれているというのを読んで、ありがたいなと思います。これからも最前を尽くしていこうと思いました。
自分の周りの人たちは真理を知らないために、もっとこうしたらいいのにと自分が思っても違う方向に走って行ってしまいます。そういうのを見ていると、近くにシルバーバーチの考え方を理解できる人がいて、お互いにそうしたことを話すことができたらすごく心強いのにと思います。
霊界は霊的レベルによって違う界層にすむということで、この地上は違う霊性レベルの人間が同じ平面上に住んでいるということですが、シルバーバーチやスピリチュアリズムのことを知れば知るほど生きにくいなあという思いが強く感じられます。物質世界なので、物質にとらわれている人が多いのでそう感じるのだと思うのですが、霊的知識を知ったり学んだりすることが自分たちの責任であると思います。戦争、貧困、肉食などという問題は、本当は最初からなくてもよいものであったはずなのに、何であるのかと思うと、やはりスピリチュアリズムを知っていけばなくなると思います。
霊界へ行けば同じレベルの人間と一緒に暮らすことになるので、全然違うレベルの人たちと生活できるのはこの地上だけだと思うと、腹の立つ人たちと一緒に過ごすのも、自分とは全く違ったすごい面を持った人たちと過ごすこともできるという地上界ならではのメリットを生かして知り合っていきたいと思います。
自分は取り越し苦労をしがちで、自己否定観にさいなまれることがよくあります。そんな時に言われたことで「自分のことを考えない」ということがあります。自分のことを考えてると、余計なことを考えたり、自分の評価が気になったりするのですが、自分のことを考えないということは人のためとか自分以外のところに意識を集中しているときで、それが奉仕とか人のためにというシルバーバーチの説く真理につながっていくのだと思います。自分のことを考えないようにして、知識があっても実行できないと逆に罪を作っていくと思います。だから自分の意識を人のためにという奉仕の方向へむけていこうと思いました。
自分が道具として使ってもらうには、霊界にすべて委ねていかなければならないと思っています。霊性を上げるために、摂理に沿った生活をしていかなくてはならない
霊的真理は頭で納得できますが、実践しなければ何にもならないということはわかっているのですが、この実践というのが大きな壁になっています。真理を知ってしまったから責任も生じているのに、自分のことだけで手一杯という状態である現状から何とか前に進めたらと思います。
真理を知っている者の責任という言葉は霊訓の中に何回も出てくるのですが、私は真理に出会って救われた部分もありますが、真理を知れば知るほど「罪と罰」という言葉にすごくとらわれてしまって、自分は罪があり罰せれるということがずっと怖かったです。真理を知って何年にもなるのですが、真理を知ってから今までの生き方がいかに罪を作らないようにするかという人生で、自分が罰せられないための人生を歩んできたような気がします。自分の中に許しがたい本能があって、それを消すことが霊的成長だと思って、もちろんそれがひいては人のためになると思って、自分の煩悩を消すことに必死でした。最近になって、それが結局は自分のことしか見ていない、自分を救うための行為でしかない、利己愛だったんじゃ中と気づいて、今日の学習の中でそういう自分があるということ以上に他人を思う気持ちを大きくすることが霊的成長につながるということを聞いて、少しですが自分を忘れるとか、他人を思いやるということがどういうことなのかということが頭でわかったような気がします。これから本当に人を愛するということはどういうことなのか、他人を思いやるということはどういうことなのか、自分をなくすということはどういうことなのかを改めて真剣に考えて実践していきたいと思いました。
この地上ではいい・悪いの判断をしてもその尺度があいまいで、摂理に沿ってのものでないことが多いと思います。シルバーバーチの真理を知識として得ることによって、これは正しいのか間違っているのかが分かるようになってきました。最前を尽くすということで、自分は最善を尽くしていないと思います。霊的知識を知ったつもりで、自分が困難な出来事の渦中にあると気には、前向きにならなければいけないと思いつつなかなかそうなれません。その時に自分の守護霊に受け入れますから、早くこと状態を抜け出させてほしいと祈るのですが、そうした時に自分は本当に真理が身についてきているのだろうかと不安になったり取り越し苦労をしたりすることがあります。しかし、この時代、この国に生まれてこうして真理を学べるということは意味があるのだと思います。