参加者の感想

名古屋シルバーバーチ読書会

参加者の感想

読書会に参加された方の感想を載せました。その日に学んだ内容についての感想や、日常生活の中で感じたことなどを霊的真理に照らし合わせながら語ってくださった言葉です。真理を学ぶ皆さんの参考にしてください。

2012.9.16

今月は、『スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』の最後に掲載されている「モーリス・バーバネルの遺稿」と『シルバーバーチは語る』の1章「シルバーバーチの使命」から、シルバーバーチの交霊会が始まるいきさつについて、霊界側と霊媒側それぞれのサイドから述べていること合わせて学びました。また、『地上人類への最高の福音』の1章「この私が誰であるかは、どうでもよいことです」のはじめの部分も学びました。さらに、今回は参加者のお一人が、ご自分のこれまで勉強してきたスピリチュアリズムについての内容を発表したいとの申し出があり、「スピリチュアリズムの研究発表」をしてくださいました。この発表は、他の参加者の方にとっても大きな刺激となったようです。独自の視点からまとめてあってとてもユニークでわかりやすい内容でした。日常生活のさまざまな苦労と軋轢に落ち込みそうになる中、前向きにスピリチュアリズムに取り組んで、他の人たちの刺激にもなればという思いで資料(オリジナルのスピリチュアリズム年表)を作られた努力には本当に頭が下がる思いでした。

9月の感想――遺稿シルバーバーチと私……モーリス・バーバネル

ここにこうして来られるのも、自分たちの守護霊や背後霊の周到な準備があって、働きかけられ、導かれてきたと思うと本当にありがたいことだと思います。シルバーバーチがどこかで言っていたと思うのですが、この地上に降りてきて、自分の本来の境涯へ戻るのに、地上の時間にして3日以上かかるということです。そんな大変な苦労をしてまで、この地上世界に降りてきて人類愛・利他愛で私たちに真理を説いてくれる…本当にありがたいことだと思います。だからこそ、何とか後世の人たちにこの真理を伝えていかなければならないと思います。

Oさんの話を聞いて、スピリチュアリズムを担っているのは何も有名な人たちばかりでなく、私たちのような普通の人たちでも、重大な役割を担うことができることを確認できました。時として、私たちは、スピリチュアリズムというものは、有名人・偉人等自分たちより偉い人たちによって進められているように勘違いしてしまいます。しかし、その人その人の役割というものがあって、スピリチュアリズムは進展していくんだということを確認できました。人と比べるのは間違いで、自分ができること、自分の役割をきちんとこなしていくことが大事なのだと思いました。自分の小ささを嘆くことなく、やれることを精いっぱいやっていこうと思います。

Oさんの話で、本を読んだだけでは感覚としてなんとなくしかわからなかったことが納得できました。フォックス家事件のことなどがそうです。彼女たちにどんな役割があったのかということをこれまで頭でわかってはいましたが、「道具」ということで納得できた気がします。「道具」というと悪い響きのように聞こえますが、悪い意味ではないんだということがはっきりわかりました。スピリチュアリズムという大計画の中で、自分の意思で行ったことが後になって、自分が道具となっていたということが気づくということも起きてくるのだと思います。自分の意思で行ったことが、霊界の意図と符合して道具になれるなら本当に素晴らしいことだと思います。

Oさんの年表で、自分が学んでいたことが整理できました。アラン・カルデック、モーゼスという人たちが出てきて、その後にシルバーバーチが出てきて再生論にも決着がついたことも確認できました。先月も言いましたが、ステイントン・モーゼスは何という頭の固い人間なんだ、それに比べアラン・カルデックの方がずっと物分かりがよく、日本人には合うなあという気がしました。

日常生活の中で迷うことがあっても、シルバーバーチを読むたびに「ああそうだった」と確信できます。そうした肝心の所はおさえていると思っていますから、できるだけ集中して霊界の良い道具になっていきたいと思います。霊界の人たちは肉体がないので直接地上に働きかけられません。だからこそ、地上天国を実現するためには、私たちが霊界の人たちの道具として手助けしていかなくてはならないと思います。

私は毎晩主人と2人でシルバーバーチを読んでいます。シルバーバーチがたったひとりで地上にやってきて、人類の救いのために大きな犠牲を払ってくれていると思うと、なんてありがたいんだろうと涙が出てきます。自分の周りの人たちでもなかなか真理を受け入れられない人が多いのですが、今は昔より真理を伝えやすくなっていると思います。そんな今より前の時代に、たった一人でこの地上に降りてきて、地上人を救いたいという神様の思いを自分の思いとして、私たちに知らせようとしてくれる…本当にありがたいです。そして、自分たちもうかうかしていられないと思います。

幽界・霊界の(実相の)事については、体験をしていないことなので、今一つわからないというのが正直なところです。イメージの世界で実感がないので難しいと感じます。臨死体験でもしてみたいと思います。そうしたことを信じていいのか?信じない方がいいのか?ということになるのですが、霊訓を読んでいて、自分にもわかるところもあるので、信じないより信じる方がいいと思っています。

伝道ということはいつも頭にあるのですが、ふつう「伝道」というと何か押しつけのような感じがしてしまいます。しかし、スピリチュアリズムの伝道、本当の真理の伝道とは、準備ができた人、受け入れる時期のきた人に自然と道ができてきてその人に出会ったら手渡す、無理して探す必要のないものだということです。まだ確信の持てない人に無理強いしても変な方向に行ってしまったりします。だから落ち着いて時期のきた人に出会ったら手渡せるようにしていきたいと思っています。

自分は理屈っぽいので、なかなかすんなりと理解はできません。シルバーバーチを読んでいても不思議なところがあると、自分なりに考えて自分なりの答えを出しています。それが正しいかどうかはわかりませんが。再生に関してはまだ、理解ができずごちゃごちゃになっています。

自分が今ここに立っているために、本当に用意周到に準備がされ、導かれてきたんだということを実感しています。霊的真理の学びを通して自分の霊性を磨き、自分の獲得してきたものを積み上げていかなくてはと思っています。宗教の多くは、その人一人ひとりが獲得していかなくてはならないものを見えなくしてしまうように思います。私は「道具意識」という言葉が本当に好きです。神様の道具として自分が使ってもらえるなんてすごいと思います。普段は必要なくても、釘を打つ時にカナヅチが必要なように、神様が必要な時のカナヅチになりたいと思います。


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